Live as if you were to die tomorrow.

今日の自分が感じたトキメキを文字起こし。

さいきんの淡い苦しみ

※読み返したらあまりに支離滅裂すぎる文章だけど、たまにはそれも良いでしょう。

ここ半年くらい、生きることに対して淡い苦しみを感じている。

今すぐ死にたいと思うような絶望的な苦しみではないし、周りの素敵な友達に囲まれて、素敵なお仕事に出会って、大好きな家族と一緒に暮らし、「幸せ」をなぞるような人生を歩んでいるはずなんだけど。

どうにもこうにも、苦しさと疑問ともどかしさが離れない感覚がある。

 

きっとそれは、この情報社会と極度な資本主義社会に、自分があんまり順応していないことに原因がある気がするのだ。

今日はそれをちょっと書いてみる。

 

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ところで、私が生きる上で絶対に欠かせない栄養素は、

自分が抱きしめたくなるくらい愛おしくてすきなもの

わたしだけの言葉で丁寧に解釈して綴ること、である。

最近改めて強く実感する。

 

つまり、

「流れてくるTikTokを見まくって、ぐちゃぐちゃ色んなことを考えてはすぐ忘れるのを繰り返す一日」

よりも

「作り込まれた傑作の長編映画を見て、その好きなところをパズルを解くように丁寧に言葉にしていく一日」

を繰り返す人生でいたい。強く、強く、そうでいたいと望む。

 

けど、今の私は前者に寄っている。

それがものすごくしんどい。

徐々に徐々に、自分の心を蝕んでいる感覚がある。

 

 

どれほど新しい情報を知れたとしても、どれほど笑えたとしても、どれほどトレンドについていけたとしても、私は一つのものをじっくり愛したいと思うタイプの人間なんですね。

だから、いやでも情報があふれかえって降り注いできて、目先の快楽にとらわれて時間をむやみに消費しているような現代社会と、それに抗えない自分が嫌になる。

無駄にYouTubeに溶かす時間で、もっと良いものをじっくり噛みしめたいの。

そうなのに、そんなはずなのに、思うように体が動かない自分が苦しくなる。

 

こんな記事を書いている今も、集中できずにインスタのリールを貪るように見てしまうしさ。

自分で書いてて、なんだかとても悲しい。

 


思い返してみると、自分がジャニオタっていう一つの文化の沼にずぶずぶ嵌ったのも、良さみに溢れるオタクの語彙力を浴びたり、長文ブログを読んだりするのがとんでもなく「生きてるっ!!!楽しい!!!」って思わせてくれたからだと思う。

ちゃんとオタクできている時は人生が豊かで、そうでないときは人生が萎れるっていう自分の感覚もここに通じるはず。

 

就活とか、恋愛とか自己成長!とか、お金とか、
現実世界が忙しすぎると、どうにもこの栄養素は後回しになっちゃって。

今の私ってきっと十分すぎるくらい、人にも物にもお金にも情報にも恵まれているのに、どうにも生きていて楽しくなくなっちゃうね。

 

好きな本を授業中に読んで、好きすぎてこの感情を残しておきたくて手帳にしたためていたあの頃とか。

好きなアイドルの良さを表現したくて、1ツイートに10分くらいの時間を費やしてニヤニヤしていたあの頃とか。

怒りの感情とかもやもやした感情も、拙いながらに言葉を探して整理しよう!と頑張っていたあの頃とか。

 

今の方が”自由”はあるはずで、"幸せ"なはずなのに。

目の前のことを大事に大事にしていた若かりし頃の自分に、戻りたいなと思ってしまう。

 

隣の芝は青い。

ないものねだり。

 

戻ればいいじゃんと言われればそうなんだけど。SNS辞めれば?と言われればそうなんだけど。

分かってる。できるなら、私だって戻りたい。
ちゃんと噛みしめられていたあの頃の自分に、戻りたい。

 

でも、ふと沼に足を引き入れてしまったらもう足を取られて引き返せないように、

戻り方が分からないのである。

 

かなしいかな、刹那的に快楽を消費してしまう愚かな自分から、抜け出すことができないんだ。

 

どうすればいいんだろうな。
根本的な解決策は、まだあんまり見えていない。

 

お金とか、競争とか、出世とか、成長とか。

そんな言葉と対極な世界でいきていたいなあ。

 

 

おわり。